3.4 睡眠衛生
睡眠衛生(Sleep Hygiene)とは、良質な睡眠を促進するための行動習慣と環境条件の総称である。睡眠障害の予防・改善の基盤となり、認知行動療法の構成要素でもある。本章では、エビデンスに基づく睡眠衛生の実践法を解説する。
最終更新:2025年1月
ナレーション
1. 睡眠衛生の概要
1.1 睡眠衛生とは
睡眠衛生は、1970年代にHauriによって提唱された概念であり、睡眠の質と量を最適化するための行動的・環境的推奨事項の集合である [1]。
睡眠衛生の基本原則は以下に集約される。
- 規則性:一定の睡眠スケジュールを維持する
- 環境最適化:睡眠に適した物理環境を整える
- 行動調整:睡眠を妨げる行動を避け、促進する行動を取る
- 物質管理:カフェイン、アルコール、ニコチンの影響を理解する
1.2 睡眠衛生の限界
睡眠衛生は睡眠の基盤となるが、単独での効果には限界がある [2]。
- 軽度の睡眠問題や予防には有効
- 慢性不眠症には睡眠衛生のみでは不十分(認知行動療法が必要)
- 睡眠時無呼吸症候群など器質的疾患には対応できない
- 過度な「睡眠衛生へのこだわり」は逆効果になりうる
睡眠衛生は「必要条件」であって「十分条件」ではない。良好な睡眠衛生を実践しても問題が続く場合は、専門的な評価が必要である。
1.3 睡眠衛生の主要項目
| カテゴリ | 主要な推奨事項 |
|---|---|
| 環境 | 暗く、静かで、涼しい寝室 |
| スケジュール | 毎日同じ時刻に就寝・起床 |
| 物質 | カフェイン・アルコールの制限 |
| 活動 | 定期的な運動、就寝前の刺激回避 |
| 心理 | ベッドを睡眠以外に使わない |
2. 睡眠環境
2.1 光環境
光は概日リズムと睡眠に最も強い影響を与える環境因子である [3]。
- 日中:明るい光曝露が覚醒を促進し、夜間のメラトニン分泌を改善
- 夕方以降:照明を落とし、暖色系の光を使用
- 就寝時:完全な暗闘が理想。遮光カーテン、アイマスクの使用
寝室の光の目安として、就寝時は0.5ルクス以下(月明かり程度)が推奨される。常夜灯を使用する場合は、足元に暖色系の低照度のものを選ぶ。
2.2 温度・湿度
入眠には深部体温の低下が必要であり、寝室温度はこれに影響する [4]。
- 推奨室温:18〜22℃(個人差あり)
- 湿度:40〜60%が快適
- 寝具:季節に応じた保温性、通気性
「頭寒足熱」の原則は科学的にも支持される。手足からの熱放散により深部体温が低下し、入眠が促進される。
2.3 音環境
騒音は睡眠を妨げる主要な環境因子である [5]。
- 推奨騒音レベル:30dB以下(ささやき声程度)
- 突発音:睡眠段階を浅くし、覚醒を引き起こす
- 対策:耳栓、二重窓、ホワイトノイズマシン
一定の背景音(ホワイトノイズ、ピンクノイズ)は、突発的な騒音をマスキングする効果がある。
2.4 寝具
マットレス、枕、寝具の選択も睡眠の質に影響する [6]。
- マットレス:適度な硬さで体圧分散。7〜10年で交換を検討
- 枕:首の自然なカーブを維持。寝姿勢に合わせて選択
- シーツ・布団:通気性、吸湿性、温度調節性
最適な寝具は個人の体型、寝姿勢、好みによって異なる。「最高の寝具」を追求するより、基本的な快適さを確保することが重要である。
2.5 電子機器
寝室からの電子機器の排除が推奨される理由は複数ある [7]。
- 光曝露:スクリーンの青色光がメラトニンを抑制
- 心理的覚醒:コンテンツ(SNS、ニュース、ゲーム)が覚醒を促進
- 条件付け:ベッドと覚醒活動の連合が形成される
- 通知:夜間の通知が睡眠を中断
3. 睡眠スケジュール
3.1 規則正しい睡眠時刻
毎日同じ時刻に就寝・起床することは、睡眠衛生の最も重要な要素の一つである [8]。
- 概日リズムの安定:体内時計が安定し、入眠・覚醒がスムーズになる
- 睡眠圧の予測:一定時刻に適切な睡眠圧が蓄積
- 週末も維持:平日と週末の差を1時間以内に抑える
起床時刻は就寝時刻より重要である。起床時刻を固定し、光を浴びることで概日リズムがリセットされる。
3.2 ベッドにいる時間の最適化
ベッドにいる時間(床上時間)と実際の睡眠時間の関係は重要である [9]。
- 睡眠効率:床上時間の85%以上を睡眠で過ごすことが目標
- 過度な床上時間:睡眠が浅くなり、中途覚醒が増加
- 眠くないのにベッドにいない:眠気を感じてから就寝する
「ベッド=睡眠」の連合を強化するため、眠れないまま20分以上ベッドにいる場合は、一度起きて別の場所でリラックスし、眠気を感じてから戻ることが推奨される(刺激制御法)。
3.3 入眠前の準備時間
就寝の1〜2時間前から、睡眠への移行を促す「ウインドダウン」期間を設けることが推奨される。
- 照明を落とす:間接照明、暖色系の光に切り替え
- 刺激的活動を避ける:仕事、激しい議論、興奮するコンテンツ
- リラックス活動:読書、ストレッチ、入浴
- 心配事の処理:翌日のTo-Doリストを書き出す
4. 物質の影響
4.1 カフェイン
カフェインはアデノシン受容体を遮断することで覚醒を促進する [10]。
| 特性 | 内容 |
|---|---|
| 半減期 | 5〜6時間(個人差大:3〜9時間) |
| 効果発現 | 摂取後15〜45分 |
| 睡眠への影響 | 入眠遅延、睡眠時間短縮、深睡眠減少 |
| 推奨カットオフ | 就寝6〜8時間前まで(午後2時など) |
カフェインの代謝速度にはCYP1A2遺伝子の多型による個人差がある。「コーヒーを飲んでも眠れる」人でも、睡眠の質(深睡眠の減少など)は影響を受けている可能性がある [11]。
カフェイン含有量の目安は、コーヒー1杯(150ml)で約80-100mg、緑茶で約30mg、エナジードリンクで80-150mgである。
4.2 アルコール
アルコールは鎮静作用があり入眠を促進するが、睡眠の質を著しく悪化させる [12]。
- 睡眠前半:深睡眠の増加、REM睡眠の抑制
- 睡眠後半:アルコール代謝後にリバウンド覚醒、REM睡眠増加
- その他の影響:いびき・無呼吸の悪化、利尿作用、発汗
「寝酒」は睡眠の質を悪化させるため推奨されない。飲酒する場合は、就寝3〜4時間前までに終え、適量にとどめる。
4.3 ニコチン
ニコチンは覚醒作用を持つ刺激物質である [13]。
- 入眠への影響:入眠潜時の延長
- 睡眠構造:浅睡眠の増加、深睡眠の減少
- 夜間の離脱:ニコチン離脱による覚醒
喫煙者は非喫煙者に比べ睡眠の質が低く、禁煙により睡眠が改善することが報告されている。
4.4 食事
食事のタイミングと内容も睡眠に影響する [14]。
- 就寝直前の重い食事:消化活動が睡眠を妨げる
- 空腹での就寝:血糖低下が覚醒を促す可能性
- 推奨:就寝2〜3時間前までに夕食を終える
- 軽食が必要な場合:炭水化物+タンパク質の軽い組み合わせ
5. 就寝前ルーティン
5.1 入浴
入浴は睡眠促進効果を持つ [15]。
- メカニズム:入浴で末梢血管が拡張→熱放散→深部体温低下
- 推奨タイミング:就寝1〜2時間前
- 推奨温度:38〜40℃の温浴(熱すぎると覚醒)
- 効果:入眠潜時の短縮、深睡眠の増加
シャワーより浴槽入浴の方が効果が大きいが、足浴でも一定の効果がある。
5.2 リラクセーション技法
就寝前のリラクセーションは、心身の覚醒を低下させ入眠を促進する [16]。
- 漸進的筋弛緩法:各筋群を順に緊張→弛緩させる
- 腹式呼吸:ゆっくりとした深い呼吸で副交感神経を活性化
- 瞑想・マインドフルネス:思考から距離を置き、現在に注意を向ける
- ボディスキャン:体の各部位に順に注意を向ける
5.3 読書
就寝前の読書は、適切に行えば睡眠を促進する。
- 推奨:紙の本、穏やかな内容
- 避けるべき:電子書籍(バックライト)、刺激的・不安を誘う内容
- 照明:読書灯を使用し、部屋全体は暗くする
5.4 「心配の時間」の設定
就寝時に心配事が頭を巡る場合は、就寝前に「心配の時間」を設けることが有効である [17]。
- 方法:就寝1〜2時間前に15〜20分間、心配事を書き出す
- 効果:心配事を「処理済み」にし、就寝時の反芻を減少
- 翌日のTo-Doリスト:やるべきことを書き出すと入眠が改善
5.5 就寝前ルーティンの例
| 時間 | 活動 |
|---|---|
| 就寝2時間前 | 夕食終了、照明を落とす、スクリーン使用終了 |
| 就寝1.5時間前 | 入浴(38-40℃、15-20分) |
| 就寝1時間前 | 翌日の準備、心配事の書き出し |
| 就寝30分前 | 読書、ストレッチ、リラクセーション |
| 就寝時刻 | 消灯 |
6. 昼寝の活用
6.1 昼寝の効果
戦略的な昼寝(パワーナップ)は、覚醒度、認知機能、気分を改善する [18]。
- 注意力の回復:午後の眠気を軽減
- 記憶の改善:学習後の昼寝が記憶固定を促進
- 創造性の向上:問題解決能力の改善
- 気分の改善:ストレス軽減、ポジティブ感情の増加
6.2 最適な昼寝の方法
| 要素 | 推奨 | 理由 |
|---|---|---|
| 時間帯 | 13:00〜15:00 | 自然な眠気のピーク、夜の睡眠への影響最小 |
| 長さ | 10〜20分 | 深睡眠に入る前に起きる、睡眠慣性を避ける |
| 環境 | 暗く静かな場所 | 入眠を促進 |
| 姿勢 | リクライニング or 横臥 | 完全な横臥は深睡眠に入りやすい |
6.3 昼寝の注意点
- 長すぎる昼寝:30分以上は深睡眠に入り、覚醒後に睡眠慣性(ぼんやり感)
- 遅すぎる昼寝:15時以降の昼寝は夜の入眠を遅延させる
- 不眠症の場合:昼寝を避けて睡眠圧を高める方が効果的なことも
- コーヒーナップ:昼寝直前にカフェインを摂取し、20分後に覚醒(効果発現に合わせる)
6.4 昼寝ができない場合
職場環境などで昼寝が困難な場合の代替策として以下がある。
- 目を閉じて休息:眠らなくても回復効果あり
- 短い散歩:光曝露と軽い運動で覚醒促進
- 明るい光曝露:眠気を一時的に抑制
- 適量のカフェイン:ただし午後2時以降は注意
7. 参考文献
- [1] Hauri P. Current Concepts: The Sleep Disorders. Upjohn Company; 1977.
- [2] Irish LA, et al. The role of sleep hygiene in promoting public health: A review of empirical evidence. Sleep Med Rev. 2015;22:23-36.
- [3] Blume C, et al. Effects of light on human circadian rhythms, sleep and mood. Somnologie. 2019;23(3):147-156.
- [4] Okamoto-Mizuno K, Mizuno K. Effects of thermal environment on sleep and circadian rhythm. J Physiol Anthropol. 2012;31(1):14.
- [5] Halperin D. Environmental noise and sleep disturbances: A threat to health? Sleep Sci. 2014;7(4):209-212.
- [6] Jacobson BH, et al. Effect of prescribed sleep surfaces on back pain and sleep quality in patients diagnosed with low back and shoulder pain. Appl Ergon. 2010;42(1):91-97.
- [7] Exelmans L, Van den Bulck J. Bedtime mobile phone use and sleep in adults. Soc Sci Med. 2016;148:93-101.
- [8] Kang JH, Chen SC. Effects of an irregular bedtime schedule on sleep quality, daytime sleepiness, and fatigue among university students in Taiwan. BMC Public Health. 2009;9:248.
- [9] Kyle SD, et al. Sleep restriction therapy for insomnia is associated with reduced objective total sleep time, increased daytime somnolence, and objectively impaired vigilance. Sleep. 2014;37(2):229-237.
- [10] Clark I, Landolt HP. Coffee, caffeine, and sleep: A systematic review of epidemiological studies and randomized controlled trials. Sleep Med Rev. 2017;31:70-78.
- [11] Drake C, et al. Caffeine effects on sleep taken 0, 3, or 6 hours before going to bed. J Clin Sleep Med. 2013;9(11):1195-1200.
- [12] Ebrahim IO, et al. Alcohol and sleep I: effects on normal sleep. Alcohol Clin Exp Res. 2013;37(4):539-549.
- [13] Jaehne A, et al. How smoking affects sleep: a polysomnographical analysis. Sleep Med. 2012;13(10):1286-1292.
- [14] St-Onge MP, et al. Effects of Diet on Sleep Quality. Adv Nutr. 2016;7(5):938-949.
- [15] Haghayegh S, et al. Before-bedtime passive body heating by warm shower or bath to improve sleep: A systematic review and meta-analysis. Sleep Med Rev. 2019;46:124-135.
- [16] Morin CM, et al. Psychological and behavioral treatment of insomnia: Update of the recent evidence (1998-2004). Sleep. 2006;29(11):1398-1414.
- [17] Scullin MK, et al. The effects of bedtime writing on difficulty falling asleep: A polysomnographic study comparing to-do lists and completed activity lists. J Exp Psychol Gen. 2018;147(1):139-146.
- [18] Lovato N, Lack L. The effects of napping on cognitive functioning. Prog Brain Res. 2010;185:155-166.