2.2 ATP代謝

アデノシン三リン酸(ATP)は、細胞の「エネルギー通貨」である。すべての生命活動は、ATPの合成と分解を介してエネルギーを受け渡す。本章では、ATP産生の主要経路(解糖系、クエン酸回路、電子伝達系)と、ミトコンドリアの役割を解説する。

最終更新:2025年1月

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ナレーション

再生速度:

1. ATPの基礎

1.1 ATPの構造

ATPはアデニン(塩基)、リボース(糖)、3つのリン酸基から構成されるヌクレオチドである。高エネルギーリン酸結合(特に末端の2つのリン酸間)が加水分解されると、エネルギーが放出される [1]。

ATP加水分解反応
ATP + H₂O → ADP + Pi + エネルギー(約30.5 kJ/mol)
ATP + H₂O → AMP + PPi + エネルギー

このエネルギーは、筋収縮、能動輸送、生合成、シグナル伝達など、あらゆる細胞機能に利用される。

1.2 ATP回転率

成人の体内には約50gのATPしか存在しないが、1日に合成・分解されるATPの総量は40〜70kgに達する [2]。これは、ATPが非常に速い速度で回転(合成と分解のサイクル)していることを意味する。

安静時でも、体内のATPは約1分で完全に入れ替わる。激しい運動時には、この回転率はさらに増加する。

1.3 エネルギー供給系の概要

ATP産生には複数の経路があり、運動強度や持続時間によって寄与度が異なる。

エネルギー系 基質 酸素 ATP産生速度 持続時間
ATP-PCr系 クレアチンリン酸 不要 最速 〜10秒
解糖系(無酸素) グルコース 不要 速い 〜2分
酸化的リン酸化 糖・脂肪・タンパク質 必要 遅い 長時間

2. 解糖系

2.1 反応の概要

解糖系(Glycolysis)は、細胞質で行われるグルコース分解経路である。1分子のグルコースから2分子のピルビン酸が生成され、正味2分子のATPと2分子のNADHが産生される [3]。

解糖系の総括反応
グルコース + 2 NAD⁺ + 2 ADP + 2 Pi → 2 ピルビン酸 + 2 NADH + 2 ATP + 2 H₂O

解糖系は10段階の酵素反応から構成される。最初の5段階(投資段階)で2分子のATPが消費され、後半の5段階(回収段階)で4分子のATPが産生される。

2.2 主要な調節点

解糖系には3つの主要な調節酵素がある。

  • ヘキソキナーゼ:グルコース→グルコース-6-リン酸。生成物による阻害
  • ホスホフルクトキナーゼ-1(PFK-1):律速酵素。ATP、クエン酸で阻害、AMPで活性化
  • ピルビン酸キナーゼ:最終段階。ATP、アラニンで阻害

これらの酵素は、細胞のエネルギー状態に応じて解糖系の速度を調節する。ATPが十分にあれば解糖系は抑制され、ATPが不足すれば活性化される。

2.3 ピルビン酸の運命

解糖系で生成されたピルビン酸は、酸素の有無によって異なる運命をたどる。

  • 有酸素条件:ミトコンドリアに入り、アセチルCoAに変換されてクエン酸回路へ
  • 無酸素条件:乳酸脱水素酵素により乳酸に還元される

3. クエン酸回路

3.1 反応の概要

クエン酸回路(TCA回路、Krebs回路、トリカルボン酸回路)は、ミトコンドリアマトリックスで行われる代謝経路である。アセチルCoAの2炭素単位が完全に酸化され、CO₂として放出される [4]。

クエン酸回路の総括反応
アセチルCoA + 3 NAD⁺ + FAD + GDP + Pi + 2 H₂O → CoA + 3 NADH + FADH₂ + GTP + 2 CO₂

1分子のグルコースから2分子のアセチルCoAが生成されるため、クエン酸回路は2回転し、合計6分子のNADH、2分子のFADH₂、2分子のGTP(ATPと等価)が産生される。

3.2 中間代謝物の役割

クエン酸回路の中間代謝物は、他の代謝経路との交差点となる。

  • クエン酸:脂肪酸合成の前駆体として細胞質へ輸送
  • α-ケトグルタル酸:アミノ酸代謝(グルタミン酸との相互変換)
  • スクシニルCoA:ヘム合成の出発物質
  • オキサロ酢酸:糖新生の前駆体、アミノ酸代謝

このため、クエン酸回路は単なるエネルギー産生経路ではなく、代謝の中枢として機能する。中間体が他の経路に引き抜かれた場合、アナプレロティック反応(補充反応)によって補われる。

3.3 調節

クエン酸回路は、NADHおよびATPの濃度によってフィードバック制御される。主要な調節点は、イソクエン酸脱水素酵素とα-ケトグルタル酸脱水素酵素である。

4. 電子伝達系

4.1 酸化的リン酸化

電子伝達系(Electron Transport Chain: ETC)は、ミトコンドリア内膜に存在する一連のタンパク質複合体である。NADHとFADH₂から電子を受け取り、最終的に酸素に渡す過程で、プロトン(H⁺)をマトリックスから膜間腔へ汲み出す [5]。

この過程で形成されるプロトン濃度勾配(電気化学的勾配)が、ATP合成酵素(複合体V)を駆動し、ADPとPiからATPを合成する。これを酸化的リン酸化と呼ぶ。

4.2 電子伝達系の構成

複合体 名称 機能 プロトン輸送
I NADH脱水素酵素 NADHから電子を受け取る 4 H⁺
II コハク酸脱水素酵素 FADH₂から電子を受け取る 0
III シトクロムbc₁複合体 電子をシトクロムcへ 4 H⁺
IV シトクロムc酸化酵素 電子を酸素に渡す 2 H⁺
V ATP合成酵素 プロトン勾配でATP合成 -

4.3 ATP収量

1分子のグルコースから完全酸化で得られるATPの理論的収量は、約30〜32分子とされる(以前は36〜38分子とされていたが、現在の推定値は下方修正されている)[6]。

経路 産生物 ATP換算
解糖系 2 ATP + 2 NADH 2 + 3〜5
ピルビン酸酸化 2 NADH 5
クエン酸回路 6 NADH + 2 FADH₂ + 2 GTP 15 + 3 + 2
合計 約30〜32

4.4 活性酸素種(ROS)

電子伝達系では、電子の一部が酸素に直接渡され、スーパーオキシドなどの活性酸素種(Reactive Oxygen Species: ROS)が生成される。通常は抗酸化システムで処理されるが、過剰なROS産生は酸化ストレスを引き起こし、細胞損傷の原因となる [7]。

5. 有酸素代謝と無酸素代謝

5.1 有酸素代謝

有酸素代謝は、酸素を最終電子受容体として用いるATP産生経路である。解糖系、クエン酸回路、電子伝達系のすべてが機能し、グルコース1分子あたり約30〜32分子のATPを産生できる。効率が高く、長時間の活動を支えることができる [8]。

有酸素代謝では、糖質だけでなく脂肪酸やアミノ酸もエネルギー源として利用できる。特に脂肪酸は、β酸化を経てアセチルCoAとなり、クエン酸回路に入る。

5.2 無酸素代謝

無酸素代謝(嫌気的代謝)は、酸素供給が不十分な状況でのATP産生経路である。解糖系のみでATPを産生し、ピルビン酸は乳酸に還元される。グルコース1分子あたり2分子のATPしか産生されないが、速度は速い。

乳酸への還元は、NAD⁺を再生し、解糖系を継続可能にする重要な反応である。

5.3 乳酸の役割

かつて乳酸は「疲労物質」と見なされていたが、現在ではその見方は修正されている [9]。乳酸は以下の重要な役割を果たす。

  • エネルギー基質:心臓、脳、遅筋線維で酸化されATP産生に利用
  • 糖新生の前駆体:肝臓でグルコースに再変換(コリ回路)
  • シグナル分子:血管拡張、遺伝子発現調節に関与

筋疲労の直接の原因は、乳酸そのものよりも、ATP加水分解に伴うH⁺蓄積による細胞内pHの低下と考えられている。

5.4 エネルギー系の統合

実際の運動では、複数のエネルギー系が同時に機能する。その寄与度は、運動強度と持続時間によって連続的に変化する。

運動タイプ 持続時間 主要エネルギー系
100m走 〜10秒 ATP-PCr系
400m走 〜50秒 解糖系(無酸素)
1500m走 4〜5分 有酸素 + 無酸素
マラソン 2〜5時間 有酸素(脂質中心)

6. ミトコンドリアと健康

6.1 ミトコンドリアの特徴

ミトコンドリアは、独自のDNA(mtDNA)を持つ細胞内小器官であり、細胞のエネルギー産生の中心である。1細胞あたり数百から数千個存在し、エネルギー需要の高い組織(筋肉、心臓、脳、肝臓)では特に多い [10]。

ミトコンドリアは母系遺伝であり、mtDNAの変異は様々なミトコンドリア病の原因となる。

6.2 ミトコンドリア生合成

ミトコンドリアの数と機能は、エネルギー需要に応じて適応的に変化する。運動トレーニングは、ミトコンドリア生合成を促進する強力な刺激である [11]。

この適応の中心的調節因子が、PGC-1α(Peroxisome Proliferator-Activated Receptor Gamma Coactivator 1-alpha)である。運動、寒冷曝露、断食などのストレスはPGC-1αを活性化し、ミトコンドリアの新生を促す。

6.3 加齢とミトコンドリア機能

加齢に伴い、ミトコンドリア機能は低下する。mtDNA変異の蓄積、ROS産生の増加、品質管理機構(マイトファジー)の低下などが関与する [12]。

ミトコンドリア機能低下は、サルコペニア(加齢性筋肉減少)、インスリン抵抗性、神経変性疾患など、多くの加齢関連疾患と関連している。

6.4 ミトコンドリア機能を維持する介入

以下の介入がミトコンドリア機能の維持・改善に有効とされている。

  • 有酸素運動:最も確立された介入。ミトコンドリア生合成を促進
  • レジスタンス運動:筋肉量とともにミトコンドリア機能を維持
  • カロリー制限:ミトコンドリア効率の改善、ROS産生の低減
  • 間欠的断食:マイトファジーの活性化
  • 寒冷曝露:褐色脂肪組織のミトコンドリア活性化

7. 参考文献

  1. [1] Berg JM, Tymoczko JL, Stryer L. Biochemistry. 8th ed. W.H. Freeman; 2015.
  2. [2] Rich PR. The molecular machinery of Keilin's respiratory chain. Biochem Soc Trans. 2003;31(Pt 6):1095-1105.
  3. [3] Dashty M. A quick look at biochemistry: carbohydrate metabolism. Clin Biochem. 2013;46(15):1339-1352.
  4. [4] Akram M. Citric acid cycle and role of its intermediates in metabolism. Cell Biochem Biophys. 2014;68(3):475-478.
  5. [5] Mitchell P. Coupling of phosphorylation to electron and hydrogen transfer by a chemi-osmotic type of mechanism. Nature. 1961;191:144-148.
  6. [6] Hinkle PC. P/O ratios of mitochondrial oxidative phosphorylation. Biochim Biophys Acta. 2005;1706(1-2):1-11.
  7. [7] Murphy MP. How mitochondria produce reactive oxygen species. Biochem J. 2009;417(1):1-13.
  8. [8] Hargreaves M, Spriet LL. Skeletal muscle energy metabolism during exercise. Nat Metab. 2020;2(9):817-828.
  9. [9] Brooks GA. The Science and Translation of Lactate Shuttle Theory. Cell Metab. 2018;27(4):757-785.
  10. [10] Nunnari J, Suomalainen A. Mitochondria: in sickness and in health. Cell. 2012;148(6):1145-1159.
  11. [11] Hood DA, et al. Maintenance of Skeletal Muscle Mitochondria in Health, Exercise, and Aging. Annu Rev Physiol. 2019;81:19-41.
  12. [12] Sun N, Bhupathiraju SN, Bhupathiraju SN. The Mitochondrial Basis of Aging. Mol Cell. 2016;61(5):654-666.