3-2 要件の引き出し

Requirements Elicitation

要件の引き出し(Elicitation)は、ステークホルダーからニーズや期待を 収集するプロセスである。本節では、インタビュー、ワークショップ、観察、 プロトタイピングなど、様々な引き出し技法とその適用方法を解説する。

1. 引き出しの基本

1.1 なぜ「引き出し」なのか

要件は「収集」するものではなく「引き出す」ものである。 ステークホルダーは自分のニーズを完全に言語化できていないことが多く、 潜在的なニーズを引き出すにはスキルと技法が必要である。

要件のレベル 特徴 引き出し方法
明示的な要件 ユーザーが明確に述べる 直接質問、文書レビュー
暗黙的な要件 当然と思って言わない 観察、プロトタイプ
潜在的な要件 ユーザー自身も気づいていない 創造的技法、実験

1.2 引き出しの準備

効果的な引き出しを行うためには、事前準備が重要である。

準備項目 内容
目的の明確化 何を引き出したいのか、スコープを定義
対象者の特定 誰から引き出すか、キーパーソンの選定
事前調査 業界知識、現行システム、業務プロセスの理解
技法の選択 状況に適した引き出し技法の選定
質問の準備 質問リスト、インタビューガイドの作成

2. 主要な引き出し技法

2.1 インタビュー

インタビューは最も一般的な引き出し技法である。 1対1または少人数で対話形式で情報を収集する。

インタビュータイプ 特徴 適用場面
構造化インタビュー 事前に質問を準備、一貫性確保 多数の対象者から同種の情報を収集
半構造化インタビュー 基本質問+臨機応変な深堀り 探索的な調査、詳細の把握
非構造化インタビュー 自由な対話、発見重視 初期段階、未知領域の探索

効果的なインタビューのコツ

オープンクエスチョン(Why、How)を活用する。 「5つのなぜ」で根本原因を探る。 沈黙を恐れず、相手に考える時間を与える。 メモを取りすぎず、対話に集中する(録音許可を得る)。 終了時に要約し、認識の齟齬がないか確認する。

2.2 ワークショップ(JAD/JRP)

ワークショップは複数のステークホルダーを集め、集中的に要件を引き出す技法である。 JAD(Joint Application Development)やJRP(Joint Requirements Planning)とも呼ばれる。

要素 説明
参加者 ビジネス側、IT側、意思決定者、ファシリテーター
準備 アジェンダ、資料、会場、ツール
技法 ブレインストーミング、親和図法、投票
成果 合意された要件、優先順位、課題リスト
ファシリテーターの役割
ワークショップの成否はファシリテーターにかかっている。 中立的な立場で議論を促進し、発言の偏りを防ぎ、時間管理を行い、 合意形成を支援する。技術的な議論に入り込みすぎないことが重要。

2.3 観察(Observation)

観察は、実際の業務現場でユーザーの作業を観察する技法である。 言葉では表現されない暗黙知や非効率なプロセスを発見できる。

観察タイプ 特徴 メリット・デメリット
受動的観察 観察者は干渉せず見る 自然な行動を観察できるが、理由は不明
能動的観察 質問しながら観察 理由を確認できるが、行動に影響
参与観察 観察者も業務に参加 深い理解が得られるが、時間がかかる

2.4 プロトタイピング

プロトタイプ(試作品)を作成し、ユーザーに操作してもらうことで 要件を引き出す技法である。「百聞は一見にしかず」の効果がある。

プロトタイプ種類 特徴 用途
ペーパープロトタイプ 紙に手書きで画面を作成 初期段階、アイデア検証
ワイヤーフレーム 画面構成を線画で表現 レイアウト、導線の確認
モックアップ 視覚的なデザインを含む デザイン、ブランドの確認
動作プロトタイプ 実際に動作するもの インタラクション、技術検証
プロトタイプの落とし穴
プロトタイプを見たユーザーが「これで完成」と誤解することがある。 プロトタイプの目的と限界を事前に説明し、 あくまで要件確認のためのものであることを明確にすべきである。

3. その他の引き出し技法

3.1 文書分析

既存の文書を分析して要件を抽出する技法。現行システムの仕様書、 業務マニュアル、帳票、規程などが対象となる。

文書種類 得られる情報
現行システム仕様書 既存機能、データ構造
業務マニュアル 業務フロー、ルール
帳票・画面 入出力データ、項目
規程・法令 制約条件、コンプライアンス要件
問合せ・クレーム記録 現行の問題点、改善要望

3.2 アンケート・調査票

多数のステークホルダーから定量的な情報を収集する場合に有効。 インタビューの補完として使用されることが多い。

3.3 フォーカスグループ

少人数(6〜10名程度)のグループで特定のテーマについて議論する技法。 多様な意見を引き出し、参加者間の相互作用から新たな発見が得られる。

3.4 ブレインストーミング

自由な発想でアイデアを出し合う技法。批判禁止、量重視、 便乗歓迎、自由奔放の4原則に従って実施する。

技法の組み合わせ
1つの技法だけで全ての要件を引き出すことは難しい。 インタビュー+観察、ワークショップ+プロトタイプなど、 複数の技法を組み合わせることで、より完全な要件を引き出せる。

4. 引き出しの課題と対策

4.1 よくある課題

要求獲得では様々な課題が発生しやすい。

課題 原因 対策
キーパーソンの不参加 多忙、関心の低さ 経営層からの指示、短時間セッション
発言の偏り 声の大きい人の独占 ファシリテーション、匿名投票
解決策の押し付け ユーザーが解決策を語る 「なぜ」を繰り返し、真のニーズを探る
暗黙知の抽出困難 本人も意識していない 観察、シナリオウォークスルー
用語の相違 業務用語とIT用語のギャップ 用語集作成、確認の徹底

「現行通り」への対応

ユーザーが「現行通りでよい」と言う場合、それをそのまま受け入れてはならない。 現行システムの問題点、改善要望、将来のビジネス変化への対応など、 深堀りして真の要件を引き出す必要がある。

次のステップ
要件の引き出し技法を学んだら、次は「3-3 要件の分析」で 収集した情報を整理・詳細化する方法を学習しよう。
参考文献
[1] IIBA (2015). BABOK Guide 3.0.
[2] Wiegers, K. (2013). Software Requirements 3rd Edition.